鑑賞者限定|mentor 完全解読
あなたは本当に、この映画を観ましたか?<先に進むための質問>
劇中、⾚服の⼥性が拓海に渡した
【⽩⾎球を活性化させて免疫⼒をアップすると
⾔われている⾷べ物】は?
※未鑑賞の方は、映画館で先に確かめてください。
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メンターの継承
いわゆる“メンター”と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、スマートなスーツに身を包み、自信に満ち溢れた態度で力強く相談相手を導く人の姿だろう。だが映画『mentor』で綾野剛と𠮷田恵輔監督が創り出した埜本は、そんなステレオタイプのイメージを鮮やかに裏切る。そして埜本の生みの親となる元祖メンターこそ、実は埜本の妻である涼子だったのだ。
もともと埜本の会社の先輩であり、歳上だった涼子は、 根っからのポジティブ思考。30代半ばにしてリストラされた埜本が落ち込んでいるときも、息をするように「 これはチャンスだと思わないと」「変化を恐れるな」と言えるハートの持ち主で、それらは涼子の天性の人柄からくる本心の言葉だった。かつての埜本は涼子の前向きさにやや気後れしながらも、「ポジティブも涼子さんくらいいくと狂気ですね」と返すが、その発言は後に文字通り埜本を救うと同時に苦しめることにもなる。綾野は埜本を演じる上で、火事後、彼の人生をまさに「涼子として生きていた」と証言している。
埜本は自分が涼子から受け取ったものを、憎むべき相手であるはずの拓海に授ける。拓海にとってもそれらの助言は人生をやり直す上で必要だったに違いないが、都合よく解釈されて本質から切り離された言葉はやがてどんどんねじれていく。見かけは同じような言葉でも、涼子から埜本へ、埜本から拓海へとトレースを重ねる中で、歪に変容していくマインド。その不気味さと胡散くささの集大成が、ラストシーンで拓海の率いる“赤い集団”だ。涼子が埜本に、埜本が拓海に贈ったハグは、一体誰をどう救ったのか。メンターとはその人のことではなく、受け継がれるたびに形を変えながら増殖していく信念そのものなのかもしれない。 -
𠮷田恵輔ユニバース
近年の𠮷田恵輔監督のフィルモグラフィでは、作品同士の世界線がゆるやかにつながって、シェアード・ユニバースになっていることも見どころのひとつ。たとえば龍之介・拓海・埜本の3人が、埜本の妻・涼子の墓参りに行った帰り道、拓海はプチパニックになり、車道との間を仕切るポールにしがみついて叫び出してしまう。そのロータリーに見覚えはないだろうか。実はここ、沼津駅前のロータリーで、『ミッシング』(24)で石原さとみと青木崇高の演じた夫婦が、失踪した娘・美羽の情報を求めてビラを配るシーンでも使われた場所なのだ。そして拓海と埜本の背後には、前述のシーンに置かれていた美羽を探す看板が写り込んでいる。この看板は『ミッシング』の撮影後に一度処分されたが、今回のためにスタッフが同じものを作って再現した。
沼津は龍之介を演じた磯村勇斗の出身地でもある。アーチェリーでオリンピック代表の道を断たれた龍之介(磯村)が、自室で過去のトロフィーを見つめるシーンでは、本編には映っていないもののテーブルの上に静岡銘菓「こっこ」が。実はこれ、磯村がCMキャラクターをつとめるお菓子で、装飾スタッフの粋なはからいが画面の外でも光っていた。さらに拓海の実家の室内に見えるのは、『空白』に登場したスーパーマーケット「アオヤギ」のロゴ入りエコバッグだ。
そして𠮷田監督の映画に欠かせない顔といえば俳優の三島ゆたか。『mentor』でも、大人になった龍之介と拓海が浜辺で花火をしているところに声をかける地元民の役で出演している。ほかにも龍之介の後輩でマッシュルームカットが目を引くアーチェリー選手・坂本は『四月の余白』(26)でイカれたワルを演じていた二村仁弥、アーチェリーのコーチ役は同じく『四月の余白』で更生施設スタッフを演じた松木大輔である。特に『四月の余白』は、青少年の更生施設を運営する主人公の西(一ノ瀬ワタル)が子どもたちのメンター的な存在でもあり、𠮷田監督自身も「西が子どもたちの更生支援を続ける行動原理は、実は埜本と近い」と語っているだけにこの2作のつながりは深い。『mentor』の中華料理屋で埜本と居合わせる親子は『四月の余白』の登場人物であり、その母親が口にする「みらいの里」というワードも西が所長をつとめる更生施設の名前だ。作品の垣根を超えて広がる𠮷田恵輔ユニバースの仕掛けにも注目したい。 -
働く車
拓海は自販機の補充スタッフとしてベンダーカーを、埜本はプロパンガスの配送車を運転している本作。𠮷田監督は、登場人物の生活感や日常の不条理・生々しさを演出する重要なモチーフとして作品内に度々働く車を登場させている。『ミッシング』では沙織里(石原さとみ)の弟がミキサー車とバキュームカーのドライバーという設定、『空白』では充(古田新太)の娘がダンプカーに轢かれてしまう展開だった。𠮷田監督は『ミッシング』撮影中に、荷台に載せたガスボンベをガシャガシャ鳴らして走る車を見かけたことから、「次はこれ!」という考えが浮かんだという。拓海と埜本の2人が車で海岸沿いを並走しながら見つめ合うシーンは劇中でも印象的だ。
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ハグ
本作においてハグは、物語の展開と共に意味合いが変わるきわめて重要なキーアクションとして描かれる。再会した拓海を埜本が優しく包み込む序盤のハグは、一見すると被害者から加害者への「赦し」だ。しかし、社会に居場所のない拓海にとっては埜本に妄信的に依存していく装置としても機能している。涼子がリストラされた埜本を励まし、共に中日ドラゴンズの優勝を喜び抱き合った回想シーンのハグ。埜本にとってこのハグは「救い」であり、火災事件後、彼は自分自身の怒りや苦しみから逃げるため、涼子から受け取った全肯定のハグを他人に再現することで、心の崩壊を防いでいるように見える。終盤、火事を起こした真犯人の井川を殺害しようと、ハンマーを握る埜本。だが、痴呆が進んだ井川に予期せぬハグをされて体温=人間性を感じ取り、涼子と抱き合った記憶が脳裏に浮かんだことから泣き崩れる。暴力による復讐ではなく、ハグされることで埜本は「解放」され、自分自身の人生に向き合うのだ。
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土下座
末澤が自宅で何度も練習したという、お尻が逆立ち寸前まで上がる極端な拓海の土下座。井川家で拓海が床に頭を叩きつけるように下げる際、テーブルの脚をボクサーのようにシュッと避ける細かな動きと、土下座から顔を上げた瞬間の拓海の純粋さと狂気が混ざった表情は忘れがたい。この土下座は𠮷田監督が現代社会の「過剰な世間への謝罪パフォーマンス」に対する違和感をデフォルメして描いたもので、拓海にとっては“反省している自分”に酔い、謝罪すること自体が目的化・快感化している様を表現している。『空白』『四月の余白』にも印象的な土下座が登場するので、ぜひ見比べていただきたい。
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自販機
本作の主な登場人物3人はそれぞれ自販機の前で異なるアクションを起こし、それがキャラクターの内面や状況を表現している。がまず、拓海は自販機の商品を「補充」している。引きこもりから脱し、自販機の補充スタッフとして働く彼の、機械的に決められた枠へ缶を詰め込んでいく作業は、自分の意志を持たず空っぽだった彼の15年そのものを象徴しているようだ。次に、龍之介は自販機を「殴る」行動に出る。オリンピックを目指すアスリートとして、常に冷静沈着で集中力を保っていたように見えた龍之介だが、拓海と埜本と再会したことによって心が乱れ、自販機を激しく殴りつけ、負傷してしまう。不条理で不器用なその行為は、普段は完璧に蓋をしている過去のトラウマや感情が溢れ出た結果ゆえだ。 自販機に何度小銭を入れても「戻ってくる」埜本。これは、彼がどれだけ亡き妻の教えを守り、加害者たちに許しや善意を示し続けても、本当に欲しかった幸せな日常や救いは二度と返ってこないという残酷な現実を表している。
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埜本が被るキャップ
埜本が常に被っている中日ドラゴンズのキャップは2004年セ・リーグ優勝時の記念モデル。キャップの左側に「1954」「1974」「1982」、右側に「1988」「1999」「2004」と、優勝年が刺繍されてる。埜本にとってこのキャップは「止まってしまった時間」や「本来の人間性」を表す重要な装置として機能している。埜本にとってこのキャップは、ただの帽子ではなく「愛する妻が生きていた、人生で一番幸せだった記憶」そのもの。彼がこれを被り続けている限り、彼の時間は妻を失った15年前から1秒も進んでいないという残酷な事実を示している。また、フィールドアーチェリーのシーンで拓海の言葉に激高し、キャップを地面に叩きつける埜本。帽子を脱ぎ捨てた瞬間、彼は妻のポジティブさをトレースする“メンター”としての仮面をはぎ取り、理不尽に怒りをまき散らす本来の自分へと戻ったのだ。ちなみに中日ドラゴンズは2026年に創設90周年を迎え、様々なイベントが催された。



